前回のブログで、私はニューヨークが大好きになったお話をしました。
宝塚歌劇団を退団したのは2002年の2月。
まだ寒い時期でしたが、私は退団後の進路をニューヨークに決めました。
最初はずっと好きだったダンスを学び、あのブロードウェイダンスセンターでアメリカ人に混ざってお稽古することが憧れでした。
海外で留学するにはまずは語学学校を決めなければなりません。
滞在が3か月以内であれば観光ビザで行くことができますので、そのあたりは問題なくパスポートもあるのでスムーズでした。
晴れて私はアメリカへ。
宝塚歌劇団退団後、少しのお休みの後すぐに渡米でした。
もともと暇が嫌いなわたしにとっては好都合。
ドキドキ・ワクワクを胸に飛び立ちます。
大学付属の語学学校で3か月の短期留学でした。
レベル3からスタート。行ってみれば一番下のクラスでした。
英語と日本語は文法も周波数も違うことからアジア人が多く、英語を使って話しても通じないことが多くありました。
同じクラスに中国からの留学生がいましたので、ある時漢字で交換してみたら意味が通じて何度かそんなことをして理解を深めていたら、先生に注意されてしまいました。
当然ですよね、英語を学びに来ているのですから。
ヨーロッパの国の子たちは私とその留学生が発音も読み方も違う漢字で、意味が分かりあえていることが理解できないようで、何度説明しても分からなかったようでした。
留学先では韓国人と日本人が圧倒的に多く、どこに行ってもアジア人はいるのだなと思った覚えがあります。
ちょっと油断すると日本語で話してしまうので注意が必要でした。
異国で知り合う日本人というのは何とも嬉しいもので同志のような気持ちになるのです。
その感覚が不思議でした。
そのころ知り合い仲良くなった友人たちは今でも仲良しです。
同じ目的をもって過ごした仲間というのは、結束が固くなるのでしょうか。笑
ニューヨークでの生活を始める
さて、短期留学を終えて日本に帰らなければならなくなったときに、私に日本人の親友ができました。
とっても仲良くなり、彼女も留学期間が終わるため日本への帰国準備が必要な時でした。
彼女は帰国しないと心に決めていました。
私もせっかく少し慣れた英語力をこのままで終わらせたくないという気持ちから、彼女と一緒に住むことを決意し、アパート探しをしました。
2LDKぐらいの大きさのアパートを見つけ、契約。
当然何もかも英語で行わなければならず、一生懸命二人で会話をし契約しました。
私が帰国し、スチューデントビザを取りに帰っている間に語学学校の友人たちと彼女で家具を選び搬入してお部屋にしてくれていました。
みんなも楽しかったのかもしれません。
毎回いろんな友人が泊まりに来たので、リビングのソファはいつも誰かの宿泊先でした。
意外と早くビザが取れ、私は再び単身渡米。
2回目ともあってもう一人で行くのも怖くないので慣れたものです。
飛行機の中でも電子辞書片手にアメリカの方と会話を楽しみました。
アメリカはビジネス・観光でいろんな国籍の方がいらっしゃいます。
同じ電車の車両内で同じ言語を話している人がいないぐらい人類のるつぼなのです。
だから、私のまだまだ何を言っているかわからない英語に一生懸命耳を傾けてくれました。
アメリカとはそういう国です。
半日かかってようやくJFK空港へ。
直行便ではなかったので、不運にも私の荷物は飛行機から降りてきませんでした。
初めてのロストバゲッジ。
本当にこんなことがあるのだと、私は思いました。
日本は本当にいい国です。あまりこのようなことはないですよね。
本来なら不運そのものですが、帰る場所もありますし英語の勉強にもなるためへっちゃら。
半分以上わからない英語でなんとかコンタクトを取り、明日の朝届くようなことを聞き取り、すぐに新居へ向かいました。
ひさびさのルームメイトとの再会。
ここで始まるニューヨーク生活にわくわくしましたが、長いフライトで疲れた体は横たわると簡単に寝落ちしてしまいました。
翌日、本当に荷物が届きました。
早すぎるぐらい早い朝一。これもまた極端です。
でも荷物が届くありがたさ。
感謝をして、日本から持ってきた荷物をほどきながら新生活に胸を躍らせていました。
私は日本人でもここはアメリカ、どちらの言い分が正しいの?
階下にアメリカ人の彼を持つ日本人の女の子が住んでいました。
彼らは同棲していて、挨拶に来てくれ、特にアメリカ人の彼は毎日のように来てくれて何か困ったことはないかとか、電話はつながるのかとかいろいろなことをケアしてくれました。
最初は感謝していたのですが、そのうち彼女がいなくても一人で来るようになりました。
日本人の彼女がいるぐらいだから、日本人の心もわかってくれるだろう・・・と思っていましたが、私とルームメイトの2人だけの時間まで侵入してくるようになりました。
彼としてはみんなで話した方が楽しいじゃないか!ということでしたが、私とルームメイトはとっても仲がよく話が合うので、ドリンク片手に朝まで二人でいろんなことを語るのが日常だったので正直彼の存在はお邪魔な時がありました。
その後喧嘩になっていまい、彼女にそれとなく言ってほしいことを伝えましたが、彼は彼、私は私だから日本人の考えを言っても分からないと思うと言われてしまいました。
理解のできないカルチャーショック!!
そしてやんわり悟ってほしいこちらの気持ちは通じませんでした。
言葉にしなければわかってもらえない環境
日本人同士でも察するという行為はとても難しいときがあります。
でもYES NO できちんと表現しなくてはならない海外ではこれは通じなくてあたりまえなのです。
自分の意見ははっきり言うことがここでは求められるのです。
郷に入りては郷に従えですが、このときの私は理解ができず「でも私たちは日本人だから」と訴えても「ここはアメリカだから」と言い返された記憶があります。
その後二人でどうやったらいいのかを話し合いましたが、いい答えは出ませんでした。
国の文化は本当に難しいです。
この気くばりをする、相手の気持ちを察して先に動く、このようなことを日本人でも苦手な人はいます。
日本の社会があわず海外に飛び出す方もいらっしゃいますからね。
さいごに
私は留学経験を通して、日本はやはりいい国で私は日本人に生まれてよかったとあらためて思いました。
そういう意味でも海外経験は一度はしてみてもいいかもしれません。
逆にこの日本の気くばりの良さが好きで、日本に住んでいる外国人の方も大勢いらっしゃいますよね。
帰国後、私は外国人の知り合いがたくさんできたのですが、どちらかというとみんな日本人より日本人らしさを持っているのではないかというぐらい上品だったりしました。笑
本日もお読みくださいましてありがとうございました。
まだまだ外国での生活ネタ続きます。