茶道と禅とおもてなしの心

愛され気くばり美人道

 

皆様新年あけましておめでとうございます。

昨日から何も変わっていないのに、元旦というだけでこのように気分が違うものなのは不思議ですね。

 

31日の大晦日から元旦にかけての過ごし方は人それぞれ。

日付が変わったと同時にお参りをする人もいれば、朝寝坊をしてゆっくりと1日を過ごす人も。

私はだいたい後者の過ごし方です。

 

年越しを外で過ごすと、その後睡眠をとって起きたら夕方・・・

すでに一日が終わってしまいます。

私はなんだかもったいなきがしてしまって、やはり午前中の間に起きてしまいたいタイプです。

 

さて、前置きはこのぐらいにして、新年の抱負についてお話したいと思います。

 

年末にふと立ち寄った本屋さんで見つけた本

 

世界のビジネスエリートが知っている

教養としての茶道

竹田理絵著

 

この本がすっと目に入ってきてすぐに購入し読了いたしました。

 

もともと茶道が好きですが、先生のお稽古場が少し遠いのと仕事の都合とがかみ合わずしばらくお休みをしていました。

この本を読んで、今年からは茶道をしっかり身につけようとあらためて思ったのでした。

 

茶道の中にはおもてなしがぎっしり詰まっています。

本当に日本人が大切にしてきた心というものを学ぶことができるとこの本を読んで思いました。

 

なぜ私が“気くばり”の大切さについてブログで発信しようとしたのか

なぜ私が茶道を好きなのか

 

すべてはこれを読んで理解したと言っても過言ではありません。

ベストセラーにもなっているようですので、ぜひ本屋さんで手に取って読んでみてください。

 

さて、今日はその中で一番印象に残った言葉をご紹介します。

禅語のひとつに

 

白珪尚可磨(はっけいなおみがくべし)

 

という言葉が出てきました。

 

簡単に説明するとはっけいというもう磨きようのないほど美しい完全無欠の玉を、なお磨きなさいという意味の言葉です。

 

もう美しい玉なので磨かなくてもよさそうなものですが、それでもなお磨く、なお努力するというのが大切なことだという教えです。

 

宝塚音楽学校のお掃除のときに、毎日同じところをお掃除するためそもそも汚れていないのになぜ毎日磨くのだろうと思っていましたが、まさにこういうことなのです。

これは私の心にずんと響きました。

 

芸事や人生も同じ。

もうこのぐらいで大丈夫だろう、十分ではないか、楽をしてもよいのでは?

そう思うことも多々あるかと思いますが、人間は死ぬまで修行の身であるということです。

物事に終わりはなく、完全無欠の状態だと思っていても磨きをかけ続けるということですね。

 

うまく説明できませんが、そう考えると私はまだまだです。

 

ここ1~2年の私は、少しそんなところがあったように思います。

感謝を忘れ、もうここまで頑張ったのだから少しは楽してもよいのではないか?などと思っていた時期もありました。

ただ淡々と目の前のことをする(毎日磨く)それが大切だと気づかされました。

今年のスタートはこの言葉から始め、禅の心を学ぼうと思います。

 

 

皆様はどんな1年にされますか?

完全に二極化する道が待っているので、乗り遅れないように頑張ってまいりましょう。

 

それではまた次回のブログでお会いしましょう。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

そして本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

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